会話と対話とIRCと


IRCに戻ってみてふと思う。

やっぱこれって一方通行だよ、と。


人と人が向き合って会話するときって、その場の空気ってものが生まれるイメージがある。
誰かがそこに居るだけで生まれる空気。
それを掴み取って、誰もが言動を行う。


そしてその空気に一人の発言を乗せる事で皆が反応し、また発言や新しい空気が生まれ――その連鎖で「会話」ってのが成り立つと思ってるんだけど、IRCは「会話」を主としているのにも関わらず、何かが決定的に違う。


誰かが発言する。
気が向いた時だけ反応する。
都合の悪い事は無視出来る。


あくまでも一方通行。
これで空気が読めるだとか読めないだとか、発生するわけなんか無い。
みんな好きに発言して、好きに拾ってるだけなんだから。
これじゃBlogや2chと何の変わりも無い。
ただ誰が居るかが分かるだけだ。


「それがIRCの良いところだろ?」
と思うのも分かる。確かに気楽だし、大勢の人間と共に長時間居たとしても、特に苦にならない。
それがネットという連絡手段における大きなメリットだとも考えられるわけだし。


でもネットや紙面等の情報、つまりは一方通行の「情報の取捨選択」が自由に行えるメリットを、会話が前提のIRCにおいてメリットと捉えてしまって良いものなのか。




考えすぎだとは思うけど、俺は「都合が悪いと全ての発言を無視する姉妹」に嫌悪感を抱いて育ってきたために、こういった状況には非常に虫唾が走る。


誹謗中傷の書き込みや嘘が氾濫する掲示板を見たときも、改めて思う。
ネットにおける「現実逃避」と「取捨選択」の境界線はどこだろう、と。